題:祖母の秘密 声:加藤忍、鈴木一功 文:香取俊介 |
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「そうですか、おばあちゃんの一周忌ですか」 器用な手つきで寿司を握りながら、年老いた板前は優しく包むようにいった。 「東京もかわりましたね。神保町からこのへん、竹橋っていうんですか」 黒いワンピースに真珠の首飾りをつけた真矢はいった。 「このあたりはまだ古い建物が残ってんだ。ほら、竹橋駅の真上にあるパレスサイドビル。あそこは東京オリンピックの直後に建ったんだ。古いよオ」 「新聞社が入ってるビルね。私は、古い建物がわりと好き」 「若いのに奇特なお方だ。お客さん、東京の人?」 「いえ、静岡です」 「ああ、駿河ね。徳川家ゆかりの土地だ」 しもた屋ふうの建物の一階にある小さな寿司屋だった。どうやら七十も半ばをすぎたと思われる板前が一人でやっている。 静岡の地酒を頼み、つまみに青柳やツブ貝などを頼んだ。 「お客さん、寿司食べ慣れてるね。手つきがいい、手つきで味がかわるんだ、寿司って」 「そうですか。お寿司屋さんに一人で入るの、じつは初めてなんです」 「そう。また、どうして、こんな年寄り臭い寿司屋にはいったの?」 「小鶴ってお店の名前にひかれたから」 「なんか思い出でもあるのかね、小鶴さんに」 「祖母の名前が小鶴なんです」 「へえー、珍しい名前だ」 「じつは芸名なの」 「役者かなにかやってたの、おばあちゃん?」 「結婚する前の短い間だけど、映画の時代劇に出てたんです。脇役でしたけど」 「時代劇映画、ですか....」 「はい。祖母がでるのはほとんど時代劇で、大奥の奥女中とか腰元とかの役が多かったみたいです。竹橋って江戸城の北の丸に通じる橋で、大奥に行く人は竹橋を渡っていったそうですね」 「....おばあちゃん、なんていう芸名でした?」 「北園小鶴です」 寿司を握る板前の手がとまった。 まじまじと真矢を見つめ、 「そう....北園小鶴さんの、お孫さん‥‥」「祖母のこと、御存じなんですか」 「知りすぎるほど知っている。くやしいほど知っている」 「....もしかして、ご主人、姉川茂市って方ですか」 「どうして、そんなこと知ってるの?」 「祖母が一度だけふっと漏らしたことがあるんです。そういう役者さんの友達がいたって」 「姉川茂市は芸名だ。太(うず)秦(まさ)で役者やってたころのね」 板前は黙り込み、柱にもたれて大きく溜息を吐いた。真矢が鉄火巻きを頼んだが、ぼーっとしている。 真矢はハンドバックから和紙でつつんだ写真をとりだし、 「ここに写っている若い人、茂市さんですね」 茂市は黙ってセピア色に変色した手札の写真をうけとり、 「たしかに....私だ....」 「祖母がなくなったあと、遺品を整理してたら出てきたんです。祖母はなぜか、映画女優であったころのこと、あんまり話さなくて」 「お嬢さん、私じつは墓場までの秘密にしておこうと思ってたんだけど……この写真見たらもう、たまんなくなっちまった....あ、いや、でも、いまさらだね。失礼しました」 茂市はマグロの赤身を布巾でつつんだりほどいたりしている。 「お願いします。これも何かの縁だと思います。祖母のことなんでも結構ですから話してください」 客は真矢一人で誰も入ってこなかった。 「お嬢さん、はっきりいっちゃいやしょう。私は小鶴さんと....『いい仲』だったんだ」 「....恋人同士ってこと、ですか」 「そう。でも、当時のことだから、役者同士の恋は御法度だ。撮影所長に無理矢理仲をさかれちまってね。それで悲観して、じつは心中をはかったんですよ」 「心中....」 「京都のお寺だった。真田紐を首にまいて、二人してぶらさがった。幸か不幸か、松の木がポキッと折れちまって」 「そうだったんですか....」 「小鶴ちゃんは実家の家業の都合でね、取引先のボンボンと一緒になる羽目になっちまった。つまり、アレだよ、小鶴ちゃんが息子の嫁になってくれれば借金を帳消しにするって。家族みんなのために小鶴ちゃんはボンボンと....あ、だからって、私、小鶴ちゃんのこと、これっぽちも恨んじゃいないよ」 真矢は黙ってハンドバックから黄色に変色した便箋を取り出した。 「これ、祖母が結婚前に茂市さんに出した手紙だと思います。受け取り人不在で戻ってきてしまったようです。祖母が大事にしてた遺品の中に入ってました」 茂市はしげしげと真矢を見て、 「お嬢さんの声、小鶴ちゃんに似てる」 「....」 「読んでくれないか」 「....それじゃ読ませていただきます....『ごめんなさい。明日、お嫁にいきます。あなたのこと、決して決して忘れません。決して、決して。来世でしっかり、ちぎりましょう……』」 途中から茂市が泣き出した。真矢は読み続けることができなかった。涙を拭いたあと、茂市が白い上っ張りを脱ぎ始めた。 「お嬢ちゃん、私、小鶴ちゃんと別れてからずっと一人でね。これがあっちゃあ、他の女の人とつきあえねえよ」 いなせに脱いだ茂市の、左腕の付け根に、勘亭流のこんな文字が、黒い縁取りで彫られていた。 『小鶴 命』コヅルイノチ。 つぶやくと、不意に涙がせき堰を切ったようにあふれでた。 都心の一角に、忘れさられたようにポツンと置かれた、小さいが、暖かみのある、小鶴という寿司屋であった。 終 |
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